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技術は、

 霊感の火花を 

   燃え上がらせる

     「開けゴマ!!」

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マイケル・チェーホフ              スタニスラフスキー

 

はじめに・・・演技とは!?

スタニスラフスキ-システム、マイケル・チェーホフの心理身体訓練、

リーストラスバーグメソッド、マイズナーテクニックを核に、

表現の根本的な原理原則を体得していきます。

 

表現形態がどのような種類のものであれ、表現の原理原則を理解し体得する事で

いかようにも応用を利かせることができます。

 

スタニスラフスキーの弟子であったマイケルチェーホフが、『To The Actor』の著書の中でこのように言っています。(『演技者へ』ゼン・ヒラノ訳)→

 

//「何回も述べることとなるが、演技を含めたあらゆる芸術は原理と目標、そして専門的技術を持つ必要があることをもう一度繰り返すべきだろう。

しかしこれに反対する俳優の声がよく聞かれる。”私は自分なりの技術を身につけている”と。言い換えれば

”私は一般的な技術に関して自分なりの〈解釈〉、自分なりの適用方法を知っている」と。//引用ここまで

 

音楽家、舞踊家、建築家、画家、詩人などの芸術家は、表現するために必要なスキルと技術の習得と共に、基本的な法則と方法を学ばなければ表現できない。

一方俳優は、この自分という全存在が、表現の媒体でもあり、同時にその素材なのである。だから何もかもがあらかじめ揃っている。という勘違いが生じやすいと考えられる。プロのダンサーならば美しくターンできなければならない。

音楽家ならば譜面が読めなければならない。

俳優は一般的にはその基準は目に見えにくい。

人間が人間を表現するのであるからこそ生まれる誤解であると思う。

 

引用//~彼らを個性的にする「自分自身の」技術は、基本的規則の上に打ち立てられなければならない。その俳優が生まれつき、どんなに才能豊かであっても「自分なりの技術と工夫」という狭い世界に閉じこもるのならば、彼は自分の芸術をさほど発展させることも、またその才能を後世の俳優に伝えることもできないだろう。

 

演技術は、それが基本的な原理を持った客観的なメソッドに基づいている場合にだけ発展させることができる。演技術に関し、過去の名人によって伝えられた無数の貴重な思い出や記録は、一つのメソードを生み出すための貴重な資料としてここで低く評価されるわけではない。

しかしながらそれは、主観的であり、そのため範囲も狭められる。

芸術の理想的なメソードは、その一つ一つが完結していて、かつ全体に融合できるものでなければならない。とりわけそれは、客観的でなければならない。

 

自分には才能があるという理由でどんなメソードも、断固として認めようとしない俳優たちは、おそれく他の誰よりもそれを必要とするかもしれない。

 

なぜなら、才能、いわいる「霊感(インスピレーション)」と呼ばれるものは、

私たちの資質の中で、最も気まぐれであるからだ。才能のある俳優ほど職業的不幸に見舞われやすい。彼の足下には確固とした地盤がない。一瞬の些細ないら立ちも、悲しい気分や体調の乱れも、彼の才能を真の霊感へ近づけないものにし道を閉ざすことがあり得る。

 

基礎がしっかりした技術を伴うメソードは、このような災いを避けるための最良の保証となる。メソードは十分に練習され適切に習得された時、才能ある俳優の「第二の天性」となり、そのお蔭で彼は、何が起ころうとも自分の創造的能力を完全に把握できるのである。技術は彼の才能を呼び出し、彼が望むときにいつでもその才能が働くようにさせる、確実に信頼できる手段である。。それは、身体的、心理的な障害に関わりなく、真の霊感に対する「開け、ゴマ!」となる。

 

霊感はやってくるたびにその力の強さは異なる。

それは霊感が訪れたとしても弱く、効力がないかもしれない。

ここでまた繰り返しになるが、

技術が、俳優の意志の力を強め、感情を呼び起こし、その創造力を刺激するため

かろうじてくすぶっていた霊感の火花は突然燃え上がり、俳優が望む限り、明るく燃え続けることになる。// 引用ここまで

 

行き当たりばったりの、独自の感覚のみを頼りにしているならば、

常に不安がつきまとい、いつまでたっても俳優としての「本当の自信」には繋がらない。混乱とストレスで、やがてあなたの才能は干からびてしまうだろう。

 

技術の習得には必ず一定期間の時間が必要だ。

しかし一旦その原理原則を体得したならば、それは一生ものであるばかりでなく、

その基礎の上に独自の創意工夫を積み上げていくことができるものだ。

 

クラスには、俳優のみならず、ダンサー、歌手、声優、などの様々な「表現者」の方が『自分自身の才能を開花させたい!』という情熱を持ち、訓練に励んでいる。

 

〈表現〉というものの〈本質〉を理解しないまま、いくら〈台詞の言い方〉や〈間〉を練習しても付け焼刃に終るのは火を見るより明らかだ。

そのような表面的な演技では誰も感動しない。

一生誰かに言い方や間を直してもらうつもりなのか?意味が分からない。

「役を生きる」という演技であれば、それらは自ずと適うようになる。

「役になる」とは極論、「人格を変える事」なのだから。

 

どんな仕事もそうであるように、ここまでやったから良い・

という終わりはない。自分に満足してしまえば、あなたの人生はそこで終わる。

表現の原理原則を知り、それを体得し、『一生を掛けて探究していくもの』である。

 一流を目指す者ほど、そのことを強く自覚している。

自分を高める事を惜しまない。

あなたがまだ、その意味を想像できず、演じることの真の喜びを知らないならば、

それはとても不幸なことだ。

「演技の奥深さを知る」とは「人間の奥深さを知る」事と同義であるからだ。

 

俳優とは、自分そのものが表現の媒体であり素材である。

自分の心と身体をコントロールできる『人間のプロ』が俳優だ。

 

人間のプロとなれば、それは自ずと人生を楽に、豊かに生きることに繋がる。

 

 訓練を積めば、誰もが、

「魂の深みから、役としての感情が自ずと湧き上がる演技」となる。

三位一体の至高の体験・・・『奇跡の瞬間』

を体験できる可能性に、満ち溢れているのだ。

「本気で真剣に、やるかやらないか」だけなのだ。

「役を生きる」という真の喜びを是非体験して欲しいと心から願っている。

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