自己認識と自己否定
自己認識は演技の要だ。
それは間違いない。自分のことを知らずして、役のことなどわかりはしない。
自分とは違う人格の役を演じるといっても、自分の心と体を使って、役を構築するのだ。
その自分の心と体をよく知らなければ、使いようがない。
だから普段自分が何か、怒りや悲しみを感じた時に、
なぜこんな気持ちになるのだろうと探求して見たりして、
なぜこんな行動をするのか、相手との関係性で何を求めているのか、
ああこんな自分もいるのか、と自己認識を深めていくことが重要だ。
しかし、今の自分じゃダメだ、と自己否定が根底にあると途端にうまくいかなくなる。
自己認識をすることで、今の自分を変えようとする時、
今の自分が嫌だから、こんな感情は嫌だから、感情の理由を突き止めて、それを変えようとするのは
ある意味、自己否定である。
無価値感の正体を、自己認識によって突き止めて消し去ってやろうとする考えは、
それ自体が自己否定ではないでしょうか。
無価値感という感情も、自分の一部であり、そこにいい悪いはないはずです。
自己認識を深めようとすると、緊張したり、無価値感にアクセスし続けてしまうとすれば、
自己認識を深める行為自体が、無価値感にアクセスするトリガーとなって、ループしている可能性がある。
結果、苦しくて、何も気づきがない、苦しみの原因がどこにあるのかわからなくなる。
こんな自分じゃダメだ。変わるにはどうしたらいいだろう。自己否定をベースにした自己認識は、
思考のループに入ってしまう。こういう人を、一般的に「悩んでいる人」と言われる。
僕らは、こんな人物になりたいとこんな風になりたいと
常に願望を抱いている。本来、台本の中で、何かの役を演じるというのはとてもワクワクする体験なはずである。人間の根本的な欲求に直接アクセスする行為です
どんな自分になれるだろう?どんな自分があり得るだろう?
情熱を行動に移す時、自然といろんな自分を発見するだろう。自己認識も深まっていくと思う。
こういう人は、一般的に、「単純なやつ」と言われる。
こんな自分になりたいという欲求に素直になって、演技に臨むとき、
演じる方法がわからないという悩みは消えてしまうのではないだろうか。
どんな役でもすぐ演じられるようになりますよ、ということではない。
どんな役を構築するか、ワクワクしていろんな行動を起こせるようになるだろう。
調べたり、実際に何かをしたり、人や物を観察したり、あらゆるものから学べると思う。
そうすれば、エネルギーが高まり、感受能力も高まります。
感受能力が高さは、いい演技の要です
エネルギーを高めるとは、どういうことか。いい気分でいるということです。
結局、どんなことであっても、やりたいことをやる。
これに尽きるのです
坂口剛